清少納言大好き
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ホームページ「歌誌まがたま」
新しく歌誌「まがたま」のホームページを作りました。
http://magatama.ciao.jp/


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まがたま・14号
まがたま・14号
まがたま・14号ができました。
短歌・評論・エッセーを掲載。総ページ50。
ご希望の方はブログ右側のメールからご連絡ください。
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大久保春乃歌集『草身』
   大久保春乃歌集『草身』

 歌集名を中心に置いた、静謐な印象の装丁は大原信泉氏による。どのような歌が収められているのか魅力的である。
 著者の第二歌集、この歌集が生まれるまでの歳月には転機ともいえる部分があったようだ。そのように感じるのは一人称の文学としてやむを得ない。その上で『草身』上梓は喜ばしい。

 ・立ち返りしずはたくぐる片糸のためらい断ちてひたに言織
  る
 ・くれないの思いは言葉 とめどなく降りくれば暁の空見上
  げ立つ
 小題は「出立」十二首の中から。二〇〇四年四月歌誌「 」
の創刊によせた一連で、あとがきに著者自身が気負いの目立つ歌と記しているが、創刊号へ載る歌であり、晴々とした心を伝える二度とないかも知れない想いが込められたに相違ない。

 ・踊り場のほの暗がりに脱ぎ捨てる つるりとうしろまえの
  心を
 ・丹念に砂をかぶせてゆくように合わせ鏡の背より老い初む
 ・書くことの書かれることのうすみどり雲の一文字より雨に
  なる
 著者の個性を窺わせる歌。心象の表現が上手い。また好みは分かれるだろうが、
「そでぐちのさびしい袖はゆうぐれの手首の声を小さくする」と詠む一首。
結句の六音が不安定で、それが作者の心を語っていると受け止めた。それでは、どんなお話を作ろうか。
 たとえばブラウスの袖口。フリルが幾重にも付いていたり、レースの飾りが華やかであったら、手首は喜んで、手を振ったり、指先をひらひらとさせ、視覚的なおしゃべりをしたであろうに、何の飾りも付いていない袖から見える手首は寂しそうで、
存在を示す声すら小さいままでいる。なんて話を・・・。
 こんな楽しい語りのできる歌もまた作者の魅力になっているといえる。

・わたくしの前行く人の耳の影ほた、指の影ほた、ほた 闇
 に
 ここにある「ほた」というのはほたる以前のほたるか。このオノマトペともまごう言葉の用い方も真似のできない面白さを持っている。
 ・こころより先にことばを閉じし夜の公衆電話の窓越しの銀
 ・一生という言の葉の影おぼつかな真夜の受話器の底に置か
  れて
 ここまでの歌には、言葉、言の葉が少し気にかかる。。一首だけ立っているときは、どうというのではないが、自身に代わる、あるいは頼る、言葉、あるいは類似(言の葉など)は何度も歌にあると歌そのものが惜しく思われる場合がある。タイトルやテーマに拘っているのか、気にかかることでもある。

・雨音のひとつうしろに聴いている生まれなかったわれの泣
  く声
 ・ぬばたまの夜の青糸かき鳴らす苦しいまでに繊月の爪
 少し以前の、作者の色の濃い、あるいは私の好きな表現である。こういう世界を鎧とせず、この文章の初めのような歌へと間口を広げつつある作者の努力はこの他にも多く見られる。

 ・先の世の空しのびては、ぽーぽーとみどりの声に鳴く鳩時 
  計
 ・影二つ重なる夜を許されて、われは無色の螺子ひとつ捲く
 ・まだすこし綺麗がのこっているうちに記憶の中の窓を訪ね
  る
 ・格天井の中ほどに浮く闇だまりとろけて夜の馬にまたがる
 ・「ただいま」と帰れば母は八畳の中ほどのひともとの山ゆり
 気になる歌は、春乃ワールドの質感露わなものばかり。探し当てててしまうのは、著者の感性に共鳴しているからである。
著者の発想にも魅力を抱いているからである。この嗜好はかなり偏っているのは承知であるが・・・。

・内海の丸腰サザエ網の上にじゅじゅと螺旋のいのち閉じゆ
 く
・甘海老の殻剝く指のやさしさにゆるりとほぐれゆく君の眉
網の上に焼かれるサザエを「螺旋のいのち」と詠う発想や、指のやさしさは作者なのか君なのかの曖昧さも、立ち止まらせる力を備えている。

・扉をひらけばそこが帰る場所だったというような海 朝焼
 けの海
・なだらかに海へとつづく石の段に陽のぬくもりのたっぷり
 として
・右の手に九月の海をたずさえて君はゆるりと坂のぼりくる
最後となる四章のさらに最後の小題「九月の海」の世界はとても穏やかな恋歌が載せられていて、読む方もさわやかな気分になれる。歌集名『草身』に最も近い風のようである。ドキドキさせられる歌はとても魅力があるけれど、このような歌もまた気持ちがいい。右の歌につづく巻末の歌を、
・さるすべりの白のひと枝たむけられあるがままとういずま
 いに立つ
            (北冬舎・2008・9 刊)
| 10:19 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
歌集『水盤の水』
  歌集『水盤の水』


 著者は栗原澪子氏。1932年(昭和7年)埼玉県生まれ。詩のジャンルにおいて埼玉文芸賞、埼玉詩人賞を受賞した実績を残しているが、歌集出版は初めてである。1946年といえば戦争の終わった翌年。以来2000年代までのおよそ六十年に渡る短歌を選りすぐり、四百首近くを収めたのが『水盤の水』である。編集とは違うが順年で歌を紹介してゆこう。

  一九四六年〜一九五八年
 ・五月光川原に昏しバレーボールに競ふ友らの遠き喚声
 ・春蝉の鳴きそむる日の明るさに溶けて透けゐる哀しみのツ   
  ブ
 ・月光に花囲ませてこの家に生きてゐたのはひとりの姉と
 小題「十代の歌」より三首。戦後まもない著者の心の屈折が窺える。戦中戦後が思春期から青春時代に重なる著者の心中は図り知れない重さを湛えている。次ぎは「桐のはな」。
 ・君と吾がめをととなりし朝さへ菜の花は黄に咲きてかなし
  も
 ・桐のはな木に高く咲き大家族の嫁のあしたは明けるに早し
 ・おもひ余るひと日なりけり出迎へて受くる鞄のはつかな重
  み
 五年越しの恋を(実らすのではなく)果たすと表現した歌もあった。結婚生活が人生の目標とは思えない著者はその心を夫の鞄のはつかな重みと詠い、新婚の不安を伝えている。
 そして「うつろなる母」。婚家を出て町に住む歌となる。
 ・幼きも車窓によればその小さきつむりの髪を風になぶらす
 ・思ひ疲れ厨に立てば乱れたる朝餉のあとに移りゆく陽光
 ・原爆のこと水爆のこと殊更に思ひ描けど心は立たず
 ・美術館の食堂に来てなほ思ふ今日も麦刈る義父母のこと
 ・添ひ寝して子は眠れども読みかけし百合子の本は置くに惜
  しきかな

 一九六〇年代へ入り「開園」の小題には空き家なってゐた農家に引っ越し、地域はじめての保育園づくりをこころざすと添え書きがある。
 ・二人なる園児尊み日すがらを砂あそびしぬメーデー遠く
 ・夢に夢の先達ありて貸しくれし屋敷といへど利の輪のひそ
  む
 ・茶屋酒屋八百屋の軒をめぐりゆき保育園の行商人われかな
 ・入所希望けふも六人現実はわが胸の夢越えゆくごとし
 ・家恋ふて泣きやまぬ児よ解放の理想といふもときに罪めく
 ・これぞわが夢みし日々か絶ゆるなき叫び物おと喧嘩おもら
  し
 産声を挙げた保育園初期の様子、歩みの歌である。後へは引けぬ著者の姿を小題を省いて紹介すると、
 ・工事夫の汗も尊し上水道カンパしくるる老婦人ありて
 ・花拾ひ青き実拾ひ紅葉拾ひ柿の木のある戦場六月
 ・またしてもちびっこどもの話かと夫に言はせてわが園児愛
 ・会議終へ日付変はれど曳きてゐる想ひに洗ふ凍てし白菜
 ・児に交じり日暮れを忘るさま十年良寛さまに遠き道来つ
 こうして著者の1960年代は一区切りとなった。

 一九七〇年代の歌へゆこう。小題「渇ゑ」より、
 ・百の燭さゆらぎやまぬ白木蓮よわが揺曳もかくは華やげ
 ・わが持てる渇ゑのもとの見定めがたく満場一致に遅れしたがふ
 不惑を前にした著者自身の葛藤ではなかろうか。希求への距
離をはかるゆとりが少々残酷といえる時代であろうか。
つぎは「街ゆき」、四十歳代半ばにして仕事を東京に移すとある。
 ・やはらかにラジオ拭きをりベスト藍き老靴みがき客居らぬ
  間を
 ・素通しのビニール傘を愛用すわがものといふ愛着のなく
 ・待つわれら列にて気負ふも入りて来る折り返し電車いまだ 
  のどかに
 著者の眼に映るがままの街の一場面をとらえる優しさ、正確さが歌に滲んでいる。ますます懐の深くなる著者の心情抒情が自然でもある。
 紹介したい歌が多いけれど、一九八〇年代へ進もう。
小題「追はれる日々」の添え書きは、印刷所、洋紙店、製本所、都内往復しげし とある。
 ・券売機にもときに頑なるがあり皺ある札をきびしく返す
 ・仕上げたる本に残りし誤植ひとつ胸に胃の腑に銃痕のごと
 ・わが行く手何あるならむ献血車曇天の下に白き幕張る
 そして一九九〇年代。
 ・ソヴィエトの政変に魂うばわれて三昼夜ありぬ夏の衰へ
 ・梅雨晴れの朝に覚めぬわがうちに癌もひと日を刻むなるべ
  し
 ・手術あと頸すぢに持ちスカーフのやや派手なるを己れに許
  す
 本書の最終章は二〇〇〇年以後。
 ・テロリストの悲しみ知ると歌ひたる啄木の遠き孤独を思ふ
 ・不一致を生き来しわが家気がつけば戦争観などふかく共に
  す
 ・たちまちにモニターの波水平に変へしめしのみ人は応えず
 ・ひめじおん道ばたに咲き朝々の保育園児の列のたゆたい
 ・墓訪へばもどる車の窓の果てあはき機影の懸かりて去らず

 歌のなかには社会へ世界へ真摯な眼を向けたものも多くあったが触れられず残念である。(二〇〇七年一一月・北冬舎発行)

| 11:19 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
歌集評 『解体心書』 石川幸雄著
あすなろ・2008・139号

  歌集『解体心書』



 著者石川幸雄の第一歌集である。杉田玄白の『解体新書』に因んだというより、一字、新を入れ替えた心に著者(以後、彼)の意志がこもっているのであろう。
 四十を過ぎた男性の歌とどのように向かい合おうか、ともかく相槌の打てそうな歌を・・・。

 ・首細き少年の群れ遠く見て昭和生まれは日陰に立ちぬ
 昭和の終わり近くに生まれている彼をして、平成になって生を受けた少年たちへの羨望と、おのれの疲労を詠んでいる。
 ・鳥ゆけば点列の影追うように手負いの私にはうたがある
 ・乗り慣れぬ乗り合いバスにうつむきて過ぎ来し日々を手の
  甲にみる
 この歌の根底にある自己愛と寂寥。手負いの私、俯いて過去を手の甲に確かめている、年齢的に早過ぎないかとその心情を思いやるものの、不惑、厄年などの実生活の重さが歌の手ごたえをみせているのである。

 ・星宿をひとつふたつと知るたびにひとつふたつとわれを忘
  れる
 簡単に解体心書だなんていえないけれど、力まない彼の、技巧や方法にとらわれない率直さが良い。
 彼は自分を信じて青春時代を、立原道造、塚本邦雄に触れ、さらに寺山修司の短歌を摑み、実作の道へ進んだといってもいいだろう。(巻末の、解体心書のうしろに を参考にした)
 さはあれ、彼は彼の心を守りながら十代以来二十年余の間、歌作りのときを持ち続け、自分流歌集上梓に到達したことは素晴らしいことである。それも、近詠を中心とした三三三首であればなおのことである。

・愛おしく見つめし箸の持ち方が疎ましくなる秋の夕食
・古い手紙を取り出す夜のあるように幾度も開く受信箱(1)
・体温に近きいきれに花火待つ浴衣乙女は汗をかかない
 相聞歌を三首。三人三様のお相手に、どれも不器用な想いでもたついているのが、もどかしいけれど、微笑ましい。
 ・砂の落ちる速さであるか日の落ちる緩さであるか恋という
  もの
 ・さみしさに耐えかねていたのではなく君はさみしさ抱きし
  めていた
 ・雑誌などその辺に放りさっぱりと男の暮らし演出しおり
 このような気になる歌を何気なく歌集に挟み込んである。

 ・早足の野良着の父がやってくる何処につけしか鈴の音がす
  る
 ・シガーバー甘き薫りに深々とグラス交わすジンのカクテル
 ・手渡しの給料袋受け取るに熟練工は軍手をとりぬ
 いかにも寺山修司の気配を感じる中からではあるが、昭和の匂いが平成も二十年の今も変わらない(濃厚)部分を引き継いだ捉え方をしている。さらに「十和田観光電鉄の線路に立てば煙草持つ寺山修司寒そうに来る」などと、現実のなかにも心の縁を詠う彼である。
彼の心中には寺山の『少年歌集・麦藁帽子』を擦り切れるほど紐解いて得た寺山の心との磨り合わせに満ちていると憶測する。
これより先に、彼の高校時代の心を詩歌へいざなったのは詩人、立原道造のソネットであったと彼は巻末に記している。その立原に詠った歌。
・道造がスケッチにして描きしは夢ヒヤシンスハウスの眠り
・戦前には望み半ばに赤く咲く結核と言う核のありけり
 夭逝の人、立原道造は建築家としての未来も、豊かな文学の可能性も二十四歳で結核により亡くなった。昭和十四年のことであった。その立原の詩は消えることなく長い歳月を多くの人の心に刺激をあたえ、癒してもいる。また、スケッチの力もその雰囲気も古びていない。そんなところが彼の中で昇華し歌の世界へ結びついていったに違いない。
 彼は短歌の世界にありがちな初期における手ほどき、指導といった機会をもたないに近い経歴のようだ。幾たびかの応募、などの試みや挑戦の結果が彼の短歌への納得になって、力量への評価、あるいは自信を高めたといえる。
 幸いにも、「解放区」一員になったことで歌集上梓につながったことが、「解放区」代表の歌人田島邦彦氏巻末の一文に詳しい。     これからどのように間口が広がるのか、主張がはっきりしてくるのか、楽しみでもある。もう少し歌を紹介しよう。

 ・嗅覚は追憶なるや 厭えどもわが作業着は父の匂いす
 ・恋人の青春の日を知るごとく左千夫生家の庭に入りたり
 ・ほら食べろと若きふたりに焼肉を勧める側にいつかなりた
  り
 ・黛青に朱の三日月傷めきて遠因はなべてわれに存す
 ・路面電車したたかにゆく東京に身内はないと思い知るべし

 フランス本を思わせる装訂が美しい。(ながらみ書房刊)
| 10:59 | 書評 | comments(30) | trackbacks(0) |
歌集『屋上の人屋上の鳥』書評
   著者は花山周子さん。この第一歌集の中には一九九九年〜二〇〇七年間に詠んだ八六〇首と長歌が一つ収められている。新鮮で微笑ましい歌の多い青春歌集であり読み応えがある。
 順年の編集がされており、ページを繰るごとに著者の年齢にそう歌にめぐり合う。

 ・眠りかた忘れることもあるよねと弟が言う朝日が昇る
 ・眉の毛を一本一本抜きながら静かに死んだうさぎを思う
 ・君の額はじめて見たり台風の風が吹き抜ける屋上で今
 初期作品から三首。少しも構える所が無い、けれど著者の個性が読み取れる。弟の言うことと朝日。眉の毛を抜く行為から、死んだうさぎへの心の動き。そして、屋上の台風に吹かれた彼の額を初めてみた瞬間。どれもが新鮮に見える。
 ・本に凭れわれを無視する母の背の春の地蔵になりてゆく
  かも
 ここに登場する母とは、著者の母であり、歌人・花山多佳子氏である。集中している母を「春の地蔵になってゆくかも」は巧みである。母多佳子にして娘周子あり。家族の歌は何度も出てきて、特に歌人・多佳子の素顔は興味深い。でも、私はそれをもって著者を位置づける理由のひとつとはしたくない。
 ・憤怒にも似て春風は蒙々と洗濯物を乾かしてゆく
 一気に詠う威勢が気持ちよい。すでに、著者ならではの捉え方が明確に読み取れる。

 ・歌会にさざなみのごと声たちてわが傑作は傷物になる
 美術大学に進んだ著者が、歌会にも参加し、そのときの様子と屈折。ありのままの詠いぶりが切ない。そんな経験を早くから積むことができた幸せを羨ましくも思う。

 ・この空の青の青さにやってきた屋上の人屋上の鳥
 歌集名はこの歌の下句から。とても美しい歌である。ほかにも初々しい歌が多く載っているけれども、これはきっと、著者も納得できたのであろう。読む人それぞれの心で味わって欲しい。あとがきに種明かしの言葉を述べているけれど、ここに明かさないほうが歌集への興味が募るであろう。
 ・アトリエに美しき絵画忘れきし心地にながき夜を過ごせり
 感傷に浸りたくなる誘因が籠められている歌。詮索などより静かに言葉を噛み締めるだけで十分である。

 ・「塔」密度九割五分のホテルなり「塔」いう名の所以知らね
  ど
 ・葱の根の干からびたような髪をして永田和宏徘徊をせり 
 「全国大会」と小題があるうちの二首。「塔短歌会」へ入会して初めて、ホテルを借りきっての大会へ参加した感想が微笑ましい。「塔」の代表である永田氏の印象も言いえていて、その素直さは類稀である。
 そして「人参の千切りを鍋に落とすごと然り全国大会終わる」と詠んでいる。観察もまた素直である。

 ・夏の終り私と空の間には君の渡した傘の開きぬ
 ・壊れたる石膏像は構内の螺旋階段の下に置き去り
 ・キャンバスを抱えて立てる電車には毛羽立ちている陽光が
  入る
 ・未来には置き場なくなる一五〇号の四角きキャンバスに 
  われは在れども
 ・中空を欅は動く かのごとく卒業の後のわが領域は
 美術大学で過ごしながら生まれた歌から挙げた。この前後から歌を詠む楽しさが深まり、「題詠マラソン二〇〇五」への参加を果たすなどの意欲がみられる。では、その中の歌を。
 ・水溜りにたまりてゆける服の色クロード・モネの夢の入り
  口(色)
 ・最終の電車明るく照らし出す眠れる獅子の前に座れり(眠)
 ・われ立ちぬ大陸の果て草原に等身大の鏡はありて(陸)
 ・手つかずの哀しみ窓におとづれて小さき薔薇は窓越しに咲
  く(薔薇)
 ・ナイフにて絵の具を混ぜる秋の朝、否、光を混ぜている朝
                       (ナイフ)
 最後の小題「二〇〇六年より二〇〇七年に渡る冬」から。
 ・ゴム製の青いボールは跳ねながら手と手を行ったり来たり
  公園
 ・どれも微妙開いている家中の抽斗閉めに立ちたり
 八六〇首の中から選ぶのはこの数では惜しいけれど、二十代の女性の柔らかで素直な感性を紹介した歌から感じ取って欲しい。この先、どのように歌の世界が広がってゆくのか楽しみな歌人の第一歌集である。(ながらみ書房発行・07・8・30)
JUGEMテーマ:小説/詩


| 10:31 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
歌集『無限カノン』高旨清美著
 この歌集を紐解いたのは昨年の初冬であった。心身共に回復の感覚を摑みはじめた私をやさしく包み込むような歌が並んでいて癒された。開いたり閉じたりの半年余りのときを経て私情との折り合いというか、歌へのためらいが少しずつ消化されてきて、生粋の都会人の歌心に取り組める時がきた。
 ・あかつきを目覚めて聞けり新都心よりひびきくる街の潮騒
 巻頭の歌。長いこと東京の新宿区と中野区の境に暮らす著者。進化を止めぬ新都心のあかつきの息遣いは、街の潮騒となって響いてくる。目覚めたときの思いははたして・・・。
 ・わづかなる土に根を張るヒメツルソバうすくれなゐの花を
  咲かせて
 植物名と、初句二句、うすくれなゐと色を加える四句、都会の一隅への視線、詠い方、自然の小さな存在が愛おしい。
 ・さう言へば木香薔薇はまだ咲かぬ垣曲がりつつ振り返り見
  つ
 季節の移ろいを花で知らされることがある。木香薔薇がまだ咲かないのかしら。毎年咲いていた垣が、今年もまだあるのかといった危惧を抱きながら振り返ったのではないだろうか。何首かあとに「棘なくて香りの薄きこと親し木香薔薇の絡まる垣根」とあり、自然や植物への想いの深さがうかがえる。
 ・花過ぎし桜の根方にいとけなき撥を振りをりペンペン草は
 コンクリートで覆われているに等しい都会の中の都会の暮らしである。桜の根方に咲いていて、見過ごしにできないペンペン草が風に応えて、いとけなき撥を振る様子、新鮮な歌になる。

 ・屋上庭園ありし建物こはされて更地の上を渡りゆく月
 この歌のまえに「鳥がきて蝶きて虫の這ひをりし屋上庭園つね緑なりき」と詠っており、三十年の歴史を持つ屋上に樹々を生やした建物が、超高層ビルに建て替えられる経緯も歌になっている。感情の言葉のない歌でありながら、詠み手の心が痛いほどに想像できる、そのような感情移入を律しようと思いながら、一見静かな歌からのイメージは奥深く嵌ってゆきそうだ。
長年馴染んでいた自然を備えた理想的なビルが壊され、更地となった所を、月が照らしながら渡ってゆくときに味わう喪失感を著者は伝えるべく、この歌を詠ったのだ。そして、「バベルの塔崩されたれどこの塔は二年ののちにそそり立つべし」と詠んで終わる。新しいバベルの塔に果たして屋上庭園はあるのだろうか。
 
 ・金色の蜂蜜ひそかに熟れてゆく風吹きわたる昼下がりの園
 公園の木のミツバチの洞、安全につき大切にという札があるといった歌がこの前にあるのだが、この歌だけで鑑賞したいものである。金色の蜂蜜が蓄えられてゆく公園の存在への希望が託されているようだ。この次の「働きてはたらきてのち平らかに死にゆくならむハタラキバチは」この丁寧さには疑問が残る。が、銀座のビルの屋上に飼われているミツバチから、「銀座蜂蜜」がつくられ売られている。これは自然への執着ばかりではなく夢のある行為である。
 ・うす紅の合歓を門辺に咲かせゐる家あり町をはづるるとこ
  ろ
 ・白昼夢のごと現れて人込みに紛れゆきたる御歯黒とんぼ
 ・四囲に香を放つ木犀夜はことにみだりがはしき一樹となれ
  り
 身近な花や昆虫、木の香り。木犀の夜の匂いをみだりがましいというのには同感。
 ・孤独とは「みなし子と老いて子なき者」やがて孤独のとば
  口に佇たむ
 ・月光を浴びつつ歩む科おほきこの身芯まで透きゆくならむ
 下句が好きである。孤独とか科おほきとか著者には似合わない言葉と受け止めるのは、心身が元気になってきた私の勝手ではあるけれど、あえて、もう一ついうならば、時には思い切って抒情に浸ることがあってもいいというおねだりである。
 ・銀の梯子架けられし屋根けふ誰か春の空へと昇りゆきたり
 この春の果てに高旨ワールドが広がっているようで、これまでに幾度となく口ずさんで、安らぎを得ていた。
 ・誰かきみの噂をしたよほら髭をうごめかせつつくしやみを
  ひとつ
 ・たちのぼるサイダーの泡みつめつつ小半時をも動かざる猫
 目の離せない猫の歌の中から二首を。猫談義を始めたら尽きない悪しきわが心を戒めながらも挙げてしまった。
 
 最後になるが、歌集名『無限カノン』は、バッハ作曲「音楽の捧げもの」の内の一曲である。パーツが繰り返され途切れたように終わるところが「永遠」を示唆しているように著者は聞こえてくるという。さらに、
 ・みどり濃き谷よりひびくうぐひすのさへづり^無限カノン  
  となりて
 緑濃い谷で聞く、鶯の囀りにバッハのカノンの永遠をかさねた著者渾身の一首からタイトルが生まれた。後半の歌の紹介ができないのが残念である。装丁も美しいこの歌集を薦めたい。
 
| 10:46 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
眠くない本・15
 歌集『銀河最終便』望月祥世著


 灰色がかった地色に星を思わせるぼかしと細い線。白く抜かれたタイトルと著者の名。あすなろ誌よりひと周り小ぶりな形をした瀟洒な歌集である。見ただけでは、この中に千首以上収められているとは思えないが、著者の長いであろう歌作りの想いがこもった一冊である。
 この歌集は三章に分かれ、機憤谿貅啓鵝鵬峺斥佞箍山據海に関する歌。供憤豸沺纂鵝縫ぅ鵐拭璽優奪伐硫颪覆匹蚤昭圓抜悗錣蠅覆ら書いた歌。掘僻五三首)   日記で書いた二〇〇三年以降の作品。それぞれ、ほぼ年代順に抄出とのことであるが、歌数だけでなくその質も見事な第一歌集である。

・ライラック苦しきことを忘れんと買い求めくる水無月の花
・死者の首を奪っておいで イチハツの花咲きいでて美しい月
・アヤメ咲く危め殺めと変換す 薄紫に野原を染める

 気硫峪貊犬茲蝓なぜか花の匂いがしてこない、魅力にかけるというのではない、それどころかこの小題のもとに詠われている花の数々、詠いぶりは圧巻である。だけど、『銀河最終便』のイメージではない。なぜ、と疑問をもつタイトルのことを私流に考えると、ヒントは「アヤメ咲く危め殺めと変換す」にある。著者はパソコンの巧者であり、インターネットの世界にも詳しい人である。この世界への繋がりどきは多分、夜、それも深夜まで・・・。そこで生まれる歌の記録として、このタイトルで括ったのではないか。
 もちろん、宮沢賢治やサン・テグジュベリなど、さらには、現在欠かせない人工衛星の存在も含まれてのものかも知れない。偏見かと自覚の上で、あるいは先入観ゆえに、理性の勝った花の歌と感じてしまったともいえる。そうではあるが、『銀河最終便』とはすばらしい命名、いや歌集名である。

・舞台には時空をこえる橋が架かり 江戸のすべてが通って行った
・魚屋も飛脚も手代も虚無僧も 遊女も瓦版売りも通って行った
 この二首は並んでいる。前の歌の「江戸のすべて」この具体
が後の歌という、歌舞伎を観せる仕掛けが面白い。この数首前、
・旋回、旋回、旋回、旋回グラン・ジュテ! 薔薇、薔薇の精、跳ぶニジンスキー
 臨場感たっぷりの破調。すでにニジンスキーはこの世の人で
はないのに著者の眼はそこに名舞踏家を重ねているのであろう。
著者の感性が定型には納まらなかった。
次の歌も好きである。
・貝殻を取りたくたって離れない中から腐るだけの流木
 へえー?。流木は中から腐るのか。不思議な気分になる歌。
・淋しくてひとりぼっちで悲しくてヒマラヤシーダの枝走る栗鼠
・そんなにも羞ずかしがりやのきみだから残して帰る春のヒマラヤ
 ヒマラヤに残して帰るのは何だろう。枝走る栗鼠では面白く
ない。きみは君とは違うとして、それでは何があるのかと思う。もしかして、山?すぐ雲に隠れたがるヒマラヤの山々には個性的な名がある。まして春には密かに咲く花もあるそうだ。だから、残して帰るのは山そのものとしておきたい。   
・古備前は深夜ひそかに鳴るという 満身創痍の備前の壺が
 出来上がったとき、すでに古備前は満身創痍の状態である。
どんなに歳月がたったところで、遠い記憶は消えない。痛い、
熱い、密やかに泣いている心算でも、壺の胴に響いて音となる。
・水がほしい水がほしいと根を張って根ばかり張って瘤だらけの樹だ
 人生は順風ばかりではない。著者が瘤だらけの樹に出遇った
ときの印象として、生まれたのではないか。叶わないけれども    
求めて止まない樹への思いは「瘤だらけの樹だ」と結句をあえ
て一音多くしている。
・岩場には岩場の色のイグアナが重なりあって海を見ていた
著者の位置が想像できる。絶対イグアナの一人ではない。
・渦巻いているね世界がゆっくりと流れるように死んでゆくのか
・いつのまに死んでいたのか あの人もあの人もあの人ももう
 いない
 この二首は随分離れて置かれていた。ときには厭世的な心情
に駆られたりもあるのは不思議ではない。著者がいつもそんな
想いを抱いて生きているような歌に、私は惹かれるのである。

 千首以上の編集となると、それだけでも大変なことと思われ
る。体裁はコンパクトであるだけに、意表を付かれたものの、
歌の面白さが著者と重なる。このたくさんの歌はインターネッ
ト上の反応と洗礼をすでに受けていると思われるが、自由な歌
作りに孤軍奮闘している者どうしとしては著者のこの歌集の完
成を大変喜ばしく思ってもいる。では、最後の歌。
・千年の森の時間が止まるとき地球の皮を一枚捲る
| 14:12 | 書評 | comments(0) | trackbacks(0) |
眠くない本・14
 長澤ちづ歌集『海の角笛』(短歌研究社刊)は、著者の第四歌集である。その歌歴は昭和五二年、氷原短歌会入会からとしても、三十年余りとなる。すでに三冊の歌集を上梓しているが、そこには、勤勉、几帳面、努力家、良妻賢母などひたむきな様子を発揮している歌が見られ、幾つもの著者の姿が在った。
 「なぜ、こんなに頑張れるのだろう」と感じていた疑問が、『海の角笛』を紐解くことによって、かなり解き明かされたといえるのではないだろうか。著者は海なのか大船なのか・・・。
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眠くないほん・13
 夕刊を開いた夏男の目に、村上春樹が「フランツ・カフカ賞」を授与されている写真がはいってきた。密かにノーベル文学賞が彼のものとなるのではないかと想っていて、外れたときがっかりした。その後で、カフカ賞と聞きやっぱり彼の力は本物だと・・・。
 「『海辺のカフカ』はカフカへのオマージュなので、チェコの人が楽しんでくれたら、と思う」と受賞の挨拶のなかで語ったという。
 ずいぶん前になるけど、ベストセラーとなった『ノルウェーの森』上下の赤と緑の表紙カバーの印象は新鮮だった。ストーリーは読み返した数日前のほうが一層の悲しみが残った。夏男の生きてきた時間に合わせるように、著書も生き続けているのだ。
 村上春樹のなかのカフカは、彼と共に生きてゆくのだろう。 
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